クリスマスを待つ N.I.
クリスマスが近づくと毎年クリスマスカードを作っています。以前は木版画で頑張っていたので、どんなデザイン、どんな言葉にしようかと、夏が終わる頃から、頭の中で思いを巡らせていました。今は知力も腕力も衰えたのでPCで作っています。インターネットのお助けサイトを参考にメッセージも考えています。
インターネットには多くの情報が溢れています。「喪中挨拶をいただいたときのクリスマスカード」という情報もありました。
それは『日本では、クリスマスを一種のお祭りのように考えている人も多いので、喪中のクリスマスカードに違和感を持つ人もいるかもしれません。クリスマスカードは控えたほうが無難。お祝いの言葉や派手なものは避け、喪中の方に送る場合はお祝いの言葉を使わずに、相手の心中を慮った言葉を選び、忌み言葉も使わない、クリスマスカード自体も派手なものではなくシンプルなデザインに』と書かれ、勧められていました。チョット違うなぁと思います。私たちクリスチャンの文化、価値観を日本文化になじませようとする過剰な心遣いかも知れません。
「待降節・アドベント」の過ごし方について、勧めたいことがあります。以前、海外に友人の多い家庭に行った時、12月の始めで、リビングの壁に多くのクリスマスカードが貼ってありました。日本では年賀状はお正月、1月1日に届けるもの、一方、クリスマスカードは待降節に届け、主イエスの御降誕を待ち望み、主にある交わりに感謝し、クリスマスを待ち心の準備をする時として過ごし、クリスマスカードにいただいた友人を想うときだろうと思っています。
ある教会では「待降節は主の降誕を待ち望む時で、クリスマス・降誕日までメリークリスマスを言わない。」降誕までメリーではないと話されていました。「Merryメリー」には「陽気な、笑いさざめく、愉快な、笑い楽しむ、お祭り気分の」などの意味があります、待降の時にはふさわしい言葉ではない、これには理があると思います。生まれるまで分からないのですから、心を引き締めて待つ時を過ごすのが大切だと思います。
このエルピスが届く頃は1月、アドベントもクリスマスも過ぎています。時期遅れの内容になりました。次のクリスマスに向けて心にとめていただければ幸いです。