受洗までの道、そしてこれから     

 

                                      K.U.

 

 

 皆様こんにちは。私は今年5月のペンテコステ礼拝の日に受洗しました。どうぞよろしくお願い致します。私の名前は「佳子」と書きます。当初は名を『よしこ』と読みましたが、幼少時あまりのおてんば娘である私に母が手を焼いていたようで、姓名判断所で相談したところ『けいこ』と読み方を変えた方が良いと言われて改名したようです。当時の私は親戚から児童相談所に相談に行ってみたらと言われるほど落ち着きがなく、デパートに連れて行くと到着するやいなや母と繋いでいた手を振り払って後ろを振り向く事なく猛スピードで走り去って行くような2歳児だったようです。改名の結果かどうかはわかりませんが、小学校入学後は担任の先生には大人しいお嬢さんですねと言われるような子に落ち着いたようです。

 

 私のキリスト教との初めての出会いは小学校低学年の頃、いつも遊んでいた友達に近所にある教会のクリスマス会に誘われたことがきっかけでした。その時はみんなでクリスマスの讃美歌を歌ったり、お菓子のプレゼントをもらったり、楽しく過ごしたことを覚えています。その後両親の勧めもあり、京都の同志社女子中高に進学することになりました。毎朝の礼拝では讃美歌を歌い、聖句を聞き、パイプオルガンの音色を聴いて、清々しい気持ちで1日をスタートすることができました。今でもその光景は鮮やかに私の想い出として心に残っています。友達との人間関係や親子関係で悩んだ時も聖書のことばに助けられて乗り越えることができました。あの頃の学校での楽しかった想い出と先生方の生徒たちへの愛は今も思い出すたびに優しく温かい感情で満たされ、生きるための勇気と力になっています。

 

 その後は大学進学、就職、結婚、子育てで毎日忙しさに追われて神様と聖書から遠ざかる生活を送っていました。色々な試練や壁にぶつかり、どうしてこんなに辛いことばかり起こるのかと信頼している親戚の叔母に悩みを打ち明けた時に『神様は乗り越えられない試練は与えない』というからねと励まされたときもありましたが、思わず『神様、私はそんなに強い人間ではありません。どうかご勘弁を!』と心の中で叫んでいました。しかし今までの人生を振り返ってみると、気がつけば心が完全に折れること無く、たくさんの試練を乗り越えて今、私は生きています。こんなにたくさんの山を自分一人で乗り越えてきたのかと思っていたのですが、この塚口教会にたどり着いてから、実は今まで神様がずっと一緒に私を見守ってくださり、聖霊のお導きによって試練を乗り越えることができていたことに気がつきました。神様は私に色々な経験と試練をお与えになり、それを一つ一つ乗り越えていく私を24時間365日見守ってくださっていたことに気づきました。思い返すと2年前の冬に肺がんだと思って覚悟していた病変が消えていた事、1年前の5月に娘の高校進学のために偶然ネットで物件を見つけて塚口に引っ越ししてきた事、近くに塚口教会があり春の伝道週間のポスターを見てためらいもなく教会に訪れた事、その後ペンテコステ礼拝で聖霊の存在を実感した事、今まであった全ての出来事が神様のご計画によるものであり、聖霊のお導きによって今まで遠回りしながらも歩んで来れた事にこの1年間の塚口教会の礼拝を通して気がつくことができました。

 

 ここまで私をお導きくださった神様の深い愛に感謝し、今まで神様に背を向けてきた私の罪を反省し、受洗により新しい自分へと生まれ変わり、これからは神を愛し、隣人を愛し、その愛の連鎖が世界中に広がっていくことを祈りながら、主イエスキリストと共にキリスト者としてこれからの自分に何ができるのかを問いつつ、新たな人生を歩んで行きたいと思っています。