神様の恵、家族への感謝
H.K.
私がクリスチャンに導かれたのは、神様の恵と妻の愛と祈りです。神様に導かれ、 その大きなきっかけとなったことがあります。
私の父は、広島に住んでいましたが、胃がんになり、日赤病院で手術し入院しました。そのため妻が広島へ行き、病院に寝泊まりし数か月間、看護してくれました。私達の子供達はその時、長男が9歳、長女が7歳、次男が4歳、三男が2歳で、長男と長女は知り合いの家族に預かっていただき、下の二人は妻の母が我が家に来てもらい、面倒を見てもらいました。私は土曜日の朝に広島に行き、妻と交代し、日曜日の夕方に妻とバトンタッチして、関西へ帰るという生活をしていました。最初の頃の病室は、 二人部屋で、もう一人の患者さんは、娘さんが看護のため泊まっておられました。 その娘さんから妻のことを良く聞かされました。「毎朝、お父さんが寝ている横で讃美歌を歌い、聖書を読み、祈り、いつもお父さんに話しかけておられますよ」と・・・。
それから、父の症状が悪くなり一人部屋に変わっても、妻は父を看護してくれました。その時の新しい看護師さんから言われたことを、今でも忘れられません。それは、看護していた妻が父の娘だと思っておられたようで、私から妻だと聞き、ビックリされていました。父からも、妻に感謝していることを何回も、私は聞きました。
父は亡くなる数週間前に、病床洗礼を受けました。安らかに神様の身元に行ったのだと思っています。神様の恵、妻の愛を受けて、それから、私は十数回のクリスチャンとしての学びを受け、受洗しました。その教会の責任役員として二十年近く、多くの役割を担ってきました。
最近の喜びは、孫が受洗したことです。子供達夫婦の全員がクリスチャンですが、孫達が神様に導かれるよう祈っているのが、私の毎日の祈りです。昨年のクリスマス 礼拝で孫の男の子が受洗しました。四人の孫が受洗したことになります。先に受洗した 三人の孫の証を聞いた時にも感激しましたが、今回の孫の証を聞いた時は、涙が溢れ出て来ました。今は元気ですが、その孫が小さい頃は体が弱く、私達もフォローのため東京(息子が転勤して)に行ったりしました。孫の証の中で、その話があっての涙でした。残りの孫達は小さいので、受洗する時に私達はこの世に居ないでしょう。でも、私達がこの世にいる間は、祈り続けて行こうと思っています。