私の信仰生活について          

                         A.U.

 

 私は、キリスト教の家庭の中で生まれ育ってきました。小さい頃から教会に通っていて、父が代務をしていた喜音伝道所に行っていました。私にとって教会は、ずっと身近なものとしてありました。そして、父の代務が終わった、高校3年生の4月から塚口教会の礼拝に出席することになりました。その5月に私はこの教会で洗礼を受けました。自分は神様に愛されているのだなと自然に思うようになり、神様に従って生きていきたいと思ったので洗礼を受けました。

 自分は人から愛されていることももちろんうれしいと思っているけど、自分自身が人を愛することができるような人間にもなりたいと思うようになりました。

私は中学、高校と仁川学院というカトリックの学校に6年間通っていました。

学校でも礼拝の時間があって、毎日お祈りの時間がありました。毎週宗教の授業もあってキリスト教について学んでいました。また私は中学、高校と宗教委員をしていました。宗教委員の役割は、毎週ある宗教朝礼の中でみんなの前に出て、お祈りをしたり、聖書の箇所を3回繰り返して読んだりすることでした。また、終礼後にもお祈りをしたりしていました。 今やっている教会学校の担当と似ている部分もあったのかもしれないけれど、このような体験は自分にとってはすごく大きな意味を持っていると思います。

 そして、私は聖書のことや神様のことをもっと知りたいと思ったので、関西学院大学の神学部に4年間通いました。専門的にキリスト教のことについて学ぶことは、難しくもあったけれど、私なりに楽しかったです。いろいろな教会に出席するという授業での体験やフィールドワークなどを通してもたくさんのことを学ぶことができました。同じような思いを持った友達とも出会うこともできました。

また、私はこれまでに家族と一緒に3回フランスにあるテゼ共同体に行ったことがあります。テゼは、キリスト教の教派を超えた男子の修道会であり、たくさんの若者が集まるところです。テゼでは13回のお祈りの時間があって、いろんな言語の賛美歌を繰り返して歌ったり、数分間の短い沈黙の時間を過ごします。いろんな国の人たちと一緒に祈る時間です。言葉や文化の違いをこえて、みんなが一つになって歌ったり祈ったりするということはとてもすばらしいことだと思います。その時間は私にとってはとても貴重な体験となって、時々関西学院大学などで開かれるテゼの祈りの集いにも参加しています。心の中が騒がしい時も沈黙の時間を過ごすことで落ち着くことができました。

塚口教会ではいろんな世代の人たちと関わることができるので、私にとって毎週の礼拝がとても楽しみになっています。いろんな人と交流を深めることができているのは私にとってはとても嬉しいことです。これからも今自分が行っている中高科の礼拝担当やたまに開かれる卓球大会、キャンプ、うどんの会などのイベントにも積極的に関わっていきたいと思っています。私にとって礼拝で聖書の言葉を聞いたり、賛美歌を歌ったりすることで、信仰が深められ、自分が生きていくうえでの安心感が得られていると思っています。また、今自分が少し不得意だと思っていること、まだ触れていない作業、行事などにもどんどんかかわっていけたらと思っています。 

私たちが直接姿を見ることができないけれど、常に神様が私たちと共にいてくださることを信じて歩んでいきたいと思っています。