80歳を過ぎて
N.H.
だから、言っておく。自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。 (マタイ6章25節)
私たちは、日々の生活において、いろいろなことで、こうしたい、こうありたいと願いながら、生きている。
しかしながら、かならずしも思う通りにはいかないのが現状ではないだろうか。仕事がうまくいかない。家庭生活、友人関係、職場関係などの人間関係で悩むこともある。
上にあげた聖句では「自分の命のことで」とある。自分の命とは、自分の一生と言い換えてもいいのではないかと私は思う。
私は今年受洗60周年を迎えた。信仰生活も自分で満足できるものではないが最低限、自分の命ある限り教会に繋がっていたいと思う。
毎年、元旦をのぞいて、日曜日の礼拝には、今のところ毎回出席している。
これからも、健康の許す限り、休まずに出席したい。
今年80歳になった。今から何年生かされるか分かないが、これからも、また皆様にご迷惑をかけることもあると思うがどうかよろしくお願いします。 妻は2020年8月10日に先立ち、今は一人暮らしだが、出来るだけ、残りの生涯を、前向きに過ごしたい。
そして、ピン、ピン、ころりで、信仰を全うし、塚口教会の芦屋霊園で眠りたい。
健康管理に毎朝3時半ごろから約3000歩歩き、週に2回ぐらいテニスを楽しんでいる。教会関係者以外の人との繋がりもテニス仲間や近所の人の付き合いも。疎かにしてはいないつもりだ。「隣人を自分のように愛しなさい」(マタイ22章39節)という利他主義とも言うべき御言葉があるが言うには優しいが、なかなか実行は難しい。
子供たちも、何とか健康で自活しており、少なからず安心はしているがイエス・キリストの信仰を持って生きてほしいと願い祈っている。
話は変わるが、昨年の6月4日から7月7日まで、入院、心臓弁膜症の手術をし、ペースメーカーを埋め込んだ。現在は順調に推移している。
なるだけ体を動かし筋肉を鍛えるようにと努力している。
早寝、早起きも健全なことと考えて実行している。
認知機能もこの頃衰えを覚えるが何とか頑張りたい。
これからも。とにかく感謝しながら健康で終わりの日まで、過ごしたいと願っている。